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今でも、フンザではブルシャスキー語、ギルギットではシナ語、バルティスターンではバルティー語が、その他の地域でも独自の言葉が話されている。 北方地域はパキスタンに属してから、小学校(5歳)からは国語であるウルドゥ語で教育がされるようになった。そして、高等教育は全てが英語の教科書となっている。彼らは日常的に様々な言語を理解し、使い分けている。 北方地域の人々の顔は各地域でも個性的だし、パキスタンの他の地域の民族とも大きく異なる。その祖先についてもいろいろな言い伝えがあるのでフンザについて少し紹介する。 【有力説①】 約1000年前、ある旅人が怪我をして、旅の中断を余儀なくされ、フンザのガニッシュ村で生活をし始めた。一年後、ペルシャ人の女性と結婚して子どもをもうけ、家族を作っていった。その子孫が今のフンザ人だと言われている。その後で、モンゴル、中国、ペルシャ、中央アジア系の人もたくさん入り町を繁栄させた。ガニッシュ村はシルクロードの跡地でもあり、今でも、路や宿場跡が残っている歴史的な村だ。(日本の援助がガニッシュ村の保存に役立っている) 【説②】 フンザに、アレキサンダー遠征軍の将軍が二人来た。その二人の将軍の末裔が今のフンザ人という説も。でも、これはあまり事実ではないらしい。
by pakfu
| 2007-11-03 18:00
| 北方地域フンザ
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